あーちゃんは
小川祐子という名前で、私の最初の親友だ。
あーちゃんは、とびぬけて美人で、背が高く、色が白かった。
スポーツは万能、勉強もできて、皆の憧れの的だった。
グループのなかで付き合っていたのだけど
ぬけがけして、二人だけで遊ぶようになったのだ。
私はちょっと嬉しかった。
あーちゃんには3才上の、ちょっとするどいお姉さんがいたので
音楽のことも、面白いラジオのことも、漫画のことも、
みんなあーちゃんから教わった。
ビートルズ、古井戸、まりちゃんズ、山上たつひこ。
あーちゃんは次々と新しい世界を教えてくれた。
人生初めて、大人無しで、地元(横浜)から抜け出したのも、あーちゃんとだった。
最初に行ったのは、中学2年の時の鎌倉巡り。
ちょうど今頃の季節だった。
早朝の東慶寺は、
門番がいなかったので、拝観料がタダだった。
嬉しくって、誰もいない境内を、二人で駈け上がった。
建長寺も誰もいなかったので忍び込み
お堂の廊下に座り、家から持ってきたおにぎりを頬張った。
素晴らしい朝御飯だった。
鎌倉の小町通りでは
薔薇がシンボルのコーヒー専門店に入った。
真っ黒で、とても洗練された店内では、
カウンターに座り、サイフォンでコーヒーを淹れてもらった。
二人ともあんまりお喋りしないで、ちょっと大人の気分を味わった。
由比ガ浜に行く途中では、「ギルド」という雑貨屋で
二人でお揃いの記念品を買った。
木に絵が彫ってあるブローチ。
私は紫陽花の柄のものにYUKAと、
あーちゃんはYUUKOと彫ってもらった。
ギルドって一体どういう意味なんだろう?と
二人で話し合ってから、もう、30年以上も経つんだね。
この日々を忘れないようにしようと何度も言い合って
ずっと友達でいようと何度も確かめ合ったけど
私たちは別れてしまった。
美しいことはいっぱい分かち合ってきたのに
小さな傷は乗り越えられなかったんだよね。
あーちゃんはいつのまにか遠いところへお嫁に行った。
この季節になると、時々、
紫陽花の咲いていた、あの日の鎌倉を思い出す。
だいすきなあーちゃん。
いつか、また、どこかで会えますように。
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教会に一度だけ行ったことがある。
小学5〜6年生の頃、クラスメイトのみっちゃんが誘ってくれたのだ。
みっちゃんは年の離れたお兄さんが二人いて
頭の回転が早く、ちょっと大人びた女の子だった。
みっちゃんは「今度、映画をやるらしい」と
小さなチラシを見せてくれた。
そこに書いてある地図を見ると
国道十六号線沿いで、家からはちょっと距離があった。
なにやら想像もつかない未知の世界だったけど
思いきって一緒に行くことにした。
さて当日
たくさん歩いてようやく教会に到着すると
そこは小さな庭のある不思議な空間だった。
庭先でみっちゃんとうろうろしていると
黒い衣装に包まれた身体の小さいおばあさんが二人現れて
私たちの突然の訪問をとても喜んだ。
さっそく映画を見せてくれるとのことで
正面の、とんがった建物の中に入れてくれた。
屋根の十字架が印象的だった。
その中で観せられたものは
今までに見たことも聞いたこともない妙な話だった。
病気になったり、歩けなくなった人々が
ひげぼうぼうの男の人と話すたびに
次々に奇跡の回復をしてゆくのだ。
それが延々と続くのだった。
観ているうちにモヤモヤした気持ちが湧いてきて
こんなことある訳がない
と
ホントにあるのだろうか?
の
二つの思いでパンパンになってしまった。
映画が終わり
おばあさんたちと庭で一緒に話すことになった。
彼女たちは口々に
なにかを熱心に話してくれた。
けれども
チンプンカンプンで
私には何を言ってるかよくわからなかった。
みっちゃんは
「お母さんが持たせてくれた」と
かばんの中から大きな紙の包みを出した。
開けると、そこにはたくさんのおはぎが入っていた。
私とみっちゃんはおはぎを食べた。
おばあさんたちにも勧めたが
彼女たちはやさしく断っていた。
みっちゃんは
左腕を出して袖をまくりながら
「今日はおはぎを食べる日なの」と
手首の数珠玉を見せた。
おばあさんたちはなにも言わず
ニコニコとしていたけれど
なんとなく
その場の空気が変わった。
「みっちゃん、そのこと言わないほうが良かったかも」と
心の中で思いながら
静かな空気の中でもくもくとおはぎを食べた。
それ以来
もう二度とその教会には行かなかった。
他の教会にも行かなかった。
キリスト教の大学を受けたら落ちてしまって
唯一受かった大学は
曹洞宗だった。
あの不思議な奇跡の物語はなんだったのだろう?と
時折思い出していたことが
たぶん
今の私に繋がっている。
忘れえぬ人 | trackback(0) | comment(8) |
以前、サイトに載せていた日記を、ちょっぴり加筆して転載します。
柿のおじさんは、私にとって今でも、重要な何かを教えてくれた大切な人です。
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2005年9月19日
忘れられない人の中に「柿のおじさん」がいる。
柿のおじさんは、私が6〜7才の頃、一度会ったきりの人だ。
お隣の川島さんの知り合いで、
母と川島さんと三人で柿のおじさんのお宅に遊びに行ったのだ。
同じ町内のはずれに住むおじさんの家は、広い森の中の崖の上に建っていた。
その崖っぷちの庭には白い丸いテーブルとイスが置いてあり、
そこで紅茶をごちそうになった。
私とおじさんは一体何を話していたのか…、
とにかく、とても意気投合して、
おじさんの庭の柿の実がとても甘くて美味しいので
「秋になったら必ずまたいらっしゃい」と言われた。
その後川島さんから、柿が成ったので由香ちゃんの事を待っているそうだよ、と聞かされていたのだけど、
行く機会がないまま、ほどなくして私は引っ越してしまった。
あれから36年経ち、ようやく、柿のおじさんが誰だったのかを知ることが出来た。
ずっとずっと、ひたすら、おじさんは森と繋がって生きていたんだね。
ここまでの月日の重みで色んな感情でいっぱいなのだけど…。
あの頃も、そして今もまた。
ありがとう、柿のおじさん。
忘れえぬ人 | trackback(0) | comment(18) |
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